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古書 一期一会 当社所蔵の貴重書や、入荷商品の中からおススメの1冊をご紹介しております。



 「簡易軌道見聞録」 (昭和54年発刊)
 
   湯口徹・著  プレスアイゼンバーン・刊


  《こちらで販売中》 「鉄道車両(私鉄・軽便鉄道・その他)」 (\10,000)
 日本列島を人間の体に見立て全国を走る鉄道路線を、張り巡らされた血管とすれば、差し詰め今日の様子は文字通り大動脈のみが生き残り、毛細血管が死に絶えたといった状況なのでしょう。しかもその大動脈を流れる「血液」=「列車」と言えば…銀色の通勤列車がサラサラと流れていくばかりで、少々主観が過ぎますことをお許しくだされば「熱い血潮」=「魅力ある列車」といったものはどこへ行ってしまったのでしょうか。昨今思うのは鉄道自体が一つの役割を終えて、全く新しい形態に生まれ変わろうとしているのではないか、幸か不幸かそういった時期に立ち会っているのかとも思えてなりません。

 「簡易軌道見聞録」 この一冊に描かれた時代には、そのような予感はまだありません。足先・指先・髪の毛の一本一本にいたるまで鉄路と言う毛細血管が走り、その中を熱い血潮がみなぎる、復興そして成長へと向かう若々しい日本の姿が描かれています。言うなれば、その「毛細血管」を丁寧に訪ね、一冊の本に収めたのが本書と言えます。その写真に写るものは、どれも古臭く薄暗いのですが、そこに写る人々の顔・歪んだ機関車や客車・薄汚れた気動車どれをとっても、どこか美しく活き活きとしているように思えるのはなぜでしょうか。本書の著者:湯口徹氏は謙遜から内容は「上っ面だけ」だと言っておられますが、かつて北海道内に多数存在した簡易軌道・殖民軌道の当時の姿を知るに、これほどの本は無いと思われます。根室拓殖鉄道・鶴居村営軌道・標茶町営軌道…など最近では廃線跡巡りとして注目される路線ですが、この本に描かれた当時の姿は、廃線跡からだけではうかがい知れない、重責を帯び躍動する殖民軌道の様子が描かれ、その姿は頼もしく美しいものです。ただ、どうしても手の届かない余りにも遠い風景・時代でもあります。一方、技術的側面からも昭和30年代後半は自走式客車(気動車)導入前後という資料的にも貴重な時期を記録したものとなっています。

 著者の湯口氏は最近では「内燃気動車発達史」という上・下巻からなる大著を執筆され、戦前・戦後を通しての地方小私鉄への中小型気動車の普及過程・各メーカーの動向などを明らかにされ、この分野での決定版ともいえる一冊を刊行されています。氏の本に通じるのは鉄道への「情」であり、交通の最末端を支えた「人」と「物」とへの暖かい眼差しにあります。「簡易軌道見聞録」冒頭の一文には「道路政策不在あるいは未熟の時期にひっそりと咲いた、アダ花としての簡易軌道へのはなむけでもあろう…その軌道で一生懸命働いた人達…育てた人達のためにも」こう結んでいます。ページを開くと、研究書とは違う何か面白さというか暖かさを感じ、引き込まれていくのはそういった部分からではないかと思います。

 多くの鉄道書の中でも本当に価値がある一冊とは、こういった本ではないか、1979年発刊のこの本は30年たった今日でも、またこの先何十年経った後にも輝きと価値を失わない本になることでしょう。こういった著作がこれからも多く現れること、現代の鉄道の姿を後の世に伝える素晴らしい一冊を今送り出さなければならないのかもしれません。
                                                           2011年1月(星)


「誇りと責任」

 「 交通各界インタビュー集 誇りと責任 」 (昭和50年発刊)

   財団法人交通協力会・田中義徳・編  財団法人交通協力会・発行

 
 《こちらで販売中》 「鉄道関連書」 → 「鉄道の現場」 E 0001 (売切)
 緑色の表紙に書かれた題名は実に印象的です。「誇りと責任」。昭和50年に発行された鉄道を中心とした交通・通運・旅行業界関係者のインタビュー記事をまとめたもので、「交通新聞」や「国有鉄道」といった鉄道・交通関連の部内誌や専門誌に昭和44年から昭和50年にかけて掲載されたものが収録されています。

 巻頭を飾るのは時の国鉄総裁・石田禮助氏です。「仕事に誇りと責任を」と題して、曲がり角にある当時の国鉄にあって、その最高責任者として、インタビュアーの「事故のたび…鉄道人は誇りをなくしたのかというような声も聞かれますが…」との問いかけに「国鉄が年に七〇億人以上の旅客の生命をあずかり、二億余トンの財貨の輸送を行うことによって、日本の経済社会の発展に大きな寄与をしていることを考えれば、その責任はきわめて重大であり、それだけにわれわれとしては、大いに誇りをもって仕事にあたるべきだと思います」と堂々と答えておられますが、印象的な題名もこの辺りから出ているのかもしれません。その他には国鉄・鉄道関連では国鉄常務理事・新幹線支社長の「装置産業としての新幹線」、国鉄常務理事・職員局長の「明るい職場で国鉄の再建を」、日本民営鉄道協会会長「都市交通問題解決のために」といったものや、交通旅行関連では日本旅行社長の「旅行のことなら何でも」、日本交通公社営業部次長ほか「旅行エージェントの役割」、さらには関連団体として日本食堂副社長・帝国ホテル副社長ほか「ビュフェあらかると」や、日立製作所社長「新しい時代にどう対処するか」そして、ついにはフジカラー販売常務取締役「旅の思い出をカラフルに」といったものまで、鉄道・交通業界の裾野の広さにも驚きますが、一つ一つのお話やエピソードが実に興味深く面白いものです。現場で働く人々(とはいっても相当な幹部の方ばかりですが…)の声を通して「国鉄・私鉄・通運・観光等各界の現状と問題点等が明らかに(引用)」することを狙ったとし、それぞれの方が自らの業界人としての生い立ちや仕事への思いを語っておられます。当時の鉄道・交通に携わる人々の日々の思いや問題意識、また現場の歴史をも垣間見ることができる1冊です。

 この本が書かれた35年前、鉄道マン達が心に抱き現場に臨んだ「誇りと責任」。鉄道という多くの人命を委ねられながらも、ミスが絶対に許されず、的確かつ迅速な対応が間断なく要求される特殊な職場にあって、自らを律し奮い立たせるため、またそれを忘れないために鉄道マン自らが課した重荷なのかも知れません。この「誇りと責任」は、今日も消えることなく鉄道や交通の現場にある人々の胸に息づいているのでしょう。読み終えると、心なしか走る列車の音も力強く感じられます。

                                                           2009年1月(星)



 「復刻版 昭和戦前時刻表」 (平成8年発刊)
 
   三宅俊彦・編  新人物往来社・刊

  
《こちらで販売中》 「時刻表」 → 「復刻版時刻表」 JF 0001 (売切)

 時刻表ほど実用本位の書籍はないのかもしれません。使い潰され、時期が過ぎれば買い替えられるのが必然。それゆえか、かつて古い時刻表は一般の古書店店頭にもあまり並ぶこともなく、なかなか入手が困難なものでした。私事ながら、どうしても自分が幼い頃に乗った列車を調べてみたく、1980年代当時の時刻表を求めて東京・神田神保町の専門店まで買いに行ったこともありました。その店主曰く、古い時刻表は新幹線の開業が一つの値段の基準になっており「東北・上越新幹線の開通」、「山陽新幹線の博多全通」さらに「山陽新幹線の部分開通」というように次第に値段が上がり、そして昭和39年「東海道新幹線の開通」以前になると、これは貴重品であるとか…昭和30年代以前は「時間」も「価格」も一気に遠いものとなるのです。

 この状況も、昨今はこういった古い時刻表の価値が見直され、流通量が増加すると共に全体的に価格も下がりつつあるようです。しかしながら、今もって東海道新幹線開通の日は遠く、昭和30年代以前となりますと、流通する絶対量そのものが少なく、相変わらず高嶺の花です。殊に戦前のものとなれば…ところが、90年代(それ以前にも何度か発刊されておりますが)に相次いで時刻表復刻版が発刊され、買うことはおろか博物館のガラス越しにしか見ることができなかった貴重な戦前の時刻表も手に取ることが出来るようになりました。この時刻表復刻版には大きく2つの種類があり、一つはJTBパブリッシングによる「時刻表復刻版」で、そしてもう一つが今回ご紹介します新人物往来社による「復刻版時刻表」です。

 赤い表紙に、白砂と松原の中を走る汽車そして沖には汽船…明治の発刊以来、一般向け時刻表のパイオニアとして、かつて旅行案内社の「三本松の時刻表」こと「公認汽車汽船旅行案内」といえば時刻表の代名詞であったいいます。今回の「復刻版昭和戦前時刻表」には昭和4年5月号・昭和6年6月号・昭和10年10月号・昭和15年1月号・昭和17年10月号の5冊と、オマケ(?)になるのか、大阪・京都の各種問屋の広告とその仕入れに便利な時刻表が収録されている昭和7年5月の「大阪仕入案内」の1冊、以上の合計6冊が当時のままに装丁され、解説書とともに重厚な化粧箱に収められています。

 昭和4〜17年といえば、歴史上では昭和4年に世界恐慌、昭和6年の満州事変から昭和16年の太平洋戦争へ向けて軍国主義が台頭する時期にあたりますが、一方で日本の鉄道が戦前における頂点に達し、鉄道を中心に今日につながる交通網の充実が見られた時期になります。「富士」「桜」など特急列車に愛称が付けられ、特急「つばめ」が運転を開始、丹那トンネルが完成するなど、毎年のように話題に事欠かず、次々に新しい路線・新しい鉄道が開通・開業しています。一方、軍需関連部門を中心に、経済も不況から脱し日本中に旅行ブームが起こったのもこの時期です。各号はまさにこれらの鉄道史の重要な節目に当たる出来事に対応し、昭和6年の号が特急「つばめ」の運転開始、昭和10年の号が「丹那トンネル開通」など、まさに1冊1冊が、このような鉄道黄金時代を象徴するものであり、これらを手にすることができる感動と、その内容への尽きない興味…本当に時間を忘れて読むことができ、ページを開くごとに新しい発見があります。

 そして昭和17年の号から表紙に「国策輸送に絶対協力」といった文字が躍り、軍隊に準拠した24時間制が鉄道にも実施されています。わずか10年余りの間に大きく時代が動く、気が付けば何か身動きが取れない息苦しい時代になっていた…これは何か示唆的なものでもあります。ぜひ、この激しい時代の動きをご自身で感じてみていただければと思います。

                                                           2008年3月(星)




 「国鉄ことば物語」 (昭和60年発刊)
 
   国鉄ことば物語編さん委員会・編  財団法人交通協力会・刊


  《こちらで販売中》 「鉄道関連書」 → 「鉄道の現場」 E 03002 (売切)
 縁あって当店へやってきた1冊・「国鉄ことば物語」。さっぱりとした装丁(下地にダイヤグラムや切符の地紋が印刷されていて嫌味のないデザイン)などから見て、主に部内向け?に発行されたものなのかもしれません。定価の表示こそありますが、ISDNやバーコードの印刷がありませんから、あまり流通ベースに乗せなかったのは確かかと思います。冒頭、大阪鉄道管理局長が寄せた「国鉄ことば物語の誕生まで」の一文によりますと、「国鉄の職場で鉄道職員の中ではぐくまれてきた鉄道特有のことば−国鉄ことば−…鉄道職員の喜び悲しみをおりまぜて、日夜、愛着を持って使われてきた国鉄ことば…」、この発掘収集が国鉄本社常務との懇談の中で話題となり、国鉄ことば物語編さん委員会が大阪鉄道管理局内におかれ、実質、局(国鉄?)の事業として行われたものとあります。

 発行年の昭和60年といえばローカル線の廃止が進み、国鉄の分割民営化が具体化し始めた時期でもありますから、そういった中で国鉄それぞれの現場で伝統的に使用されている「ことば」(いわゆる隠語の類)を記録として残しておこう、そういった背景から編さんされたものかと思います。取材先は各地の駅はもちろん「梅小路機関区」「姫路客貨車区」「大阪車掌区」「吹田工場」などの車両を動かす現場から、電力区・保線区や乗車券の印刷所や経理部などのいわゆる裏方、現役職員・OBまで、あらゆる人・分野にわたっています。おそらくは取材・編集の過程で掲載されることなく漏れていった「ことば」も無数にあることでしょう。明治以来の伝統を誇る鉄道の現場、そこで働く鉄道マンの独特な文化・世界をその息遣いと共に垣間見ることができます。

 思いつくままにいくつか拾ってみますと、比較的一般にも知られたものとしては「キセル」(不正乗車)や「サボ」(列車につける行先標)などといった言葉もあれば、「田植え」「チャメ」「盆踊り」「ギースカゴ」などにいたっては、全く一般には知られていない言葉であり、予想も付かない意味となります。例えば「田植え」は、もちろん本来の意味とは違い、ダイヤの作成時に様々な記号をダイヤグラムに書き込むことを指すのだそうです。他の言葉の意味については、ぜひお買い求めの上ご覧いただければと思います。
 「国鉄ことば物語」…すでにその「国鉄」という言葉自体が知らない人も多い、失われつつある言葉ともいえます。

                                                           2008年1月(星)



 「鐵道旅行案内」 
(昭和11年発刊)
    鐵道省・編  博文館・発行
 「汽車従事員受験準備書」 
(大正11年発刊)
    田中三郎治・著  東洋書籍出版協会・発行             《いずれも非売品》
 申し訳ございませんが、今回ご紹介する2冊はいずれも非売品です。最初を飾るにふさわしいものをと思い、個人的に所蔵しております中からとっておきのものをご紹介します。いずれも戦前に発行された本で、写真向かって左が「鐵道旅行案内」、右が「汽車従事員受験準備書」です。「鐵道旅行…」は名前の通り旅行案内書で、当時の鉄道省(今のJR)の幹線ごとに、その支線も網羅し沿線にある主な観光地や名所・旧跡を案内しています。白黒写真や一部にはカラー写真(着色?)も入れられ、当時の観光地の様子や風俗がしのばれます。また各章には、取り上げる地域の三色刷りの路線図と沿線ゆかりの浮世絵・錦絵が綴じられており、大変に凝ったつくりとなっています。観光地へのアクセスなどは、かなり詳しく書かれ、今は失われた私鉄路線やバス会社も多く、見ていて飽きない一冊です。当時と今では観光の指向性が大きく変化していますから、むしろ神社や仏閣などに関しては今の旅行案内本よりも、よほど詳しく丁寧に書かれ、そう言った分野に限れば今なお十分に実用に耐えるものです。そういう意味でも価値を失わない本だと思います。
 
 もう一冊の「汽車従事員受験準備書」は、ある古書市で300円で購入したものですが、今風に言えば受験参考書です。実は、その受験者と思しき人の名前(K氏)が裏表紙に書かれているのですが、各章ごとに丁寧に手製の付箋が付けられ、いつでも必要な箇所が開けるようにしてあります。また鉛筆やペンでたくさんの書き込みやアンダーラインがあり、「ココハ出ルヘシ」などとも書き込まれ、懸命に勉強されたのだろうと、当時の持ち主の苦労?する様子がしのばれます。中身は一般教養的な数学問題から、運賃計算の方法・運転に関する技術など相当に高度な内容です。はたして部内での試験に使用されたのか、外部からの試験に使用されたのかは判断しかねるのですが、最も気になるのは、この本のかつての持ち主であったK氏が、この後に試験に合格し、どのような鉄道マンとしての人生を歩まれたのか…今、生きておられたら95歳を超えておられることでしょう。読んでいると、書き込みについ笑みがこぼれます。

                                                            2007年7月(星)


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